2015年7月7日火曜日

【日々の光】7月7日夕

人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。 [マタ20:28]

もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。 [ヘブ9:13,14]

ほふり場にひかれて行く小羊のように・・・。 ■ わたしは羊のために命を捨てるのである。だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。 [イザ53:7|ヨハ10:15,18]

肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。 ■ 血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。 [レヒ17:11|ヘブ9:22]

まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さった。・・・わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。 [ロマ5:8,9]

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