2015年7月22日水曜日

【日々の光】7月22日朝

キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。 [ロマ6:10]

とがある者と共に数えられたのである。 ■ キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた。 ■ わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。 ■ 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。 [イザ53:12|ヘブ9:28|1ペテ2:24|ヘブ10:14]

彼(キリスト)は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。 ■ しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。 [ヘブ7:24,25|ロマ5:8,9]

キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。 [1ペテ4:1,2]

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