からだが一つであっても肢体は多くあるように、キリストの場合も同様である。 [1コリ12:12]
自らは、そのからだなる教会のかしらである。 ■ キリストを万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。 ■ わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。 [コロ1:18|エペ1:22,23|エペ5:30]
あなたは、・・・わたしのために、からだを備えて下さった。 ■ あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。 [ヘブ10:5|詩139:16]
彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。 ■ (神は)天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選んだ。 ■ 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。 [ヨハ17:6|エペ1:4|ロマ8:29]
(私たちが)あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、・・・からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。 [エペ4:15,16]
0 件のコメント:
コメントを投稿