しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならない。 [1ペテ1:6,7]
愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。 ■ 子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉・・・「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない」。 ■ すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 [1ペテ4:12,13|ヘブ12:5|ヘブ12:11]
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。 ■ 主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。 ■ 神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。 [ヘブ4:15|ヘブ2:18|1コリ10:13]
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