2015年5月9日土曜日

【日々の光】5月9日朝

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。 [ヘブ11:1]

もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。 [1コリ15:19]

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。 ■ あなたがたもまた、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれるためである。 [1コリ2:9,10|エペ1:13,14]

イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 ■ あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。 [ヨハ20:29|1ペテ1:8,9]

わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。 ■ あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。 [2コリ5:7|ヘブ10:35]

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