2015年3月2日月曜日

【日々の光】3月2日夕

安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。 [ヘブ4:9]

かしこでは悪人も、あばれることをやめ、うみ疲れた者も、休みを得、捕われ人も共に安らかにおり、追い使う者の声を聞かない。 [ヨブ3:17,18]

『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』・・・彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく。 [黙14:13]

「わたしたちの友ラザロが眠っている・・・」。イエスはラザロが死んだことを言われたのであるが、弟子たちは、眠って休んでいることをさして言われたのだと思った。 [ヨハ11:11,13]

この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。 ■ 御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。 [2コリ5:4|ロマ8:23-25]

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