わたしたち信じている者は、安息にはいることができる。 [ヘブ4:3]
悪を行い、疲れて悔い改めるいとまもない。 ■ わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 [エレ9:5|ロマ7:23,24]
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 ■ わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。 [マタ11:28|ロマ5:1,2]
神の安息にはいった者は、・・・自分もわざを休んだからである。 ■ 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 ■ これが安息だ、疲れた者に安息を与えよ。これが休息だ。 [ヘブ4:10|ピリ3:9|イザ28:12]
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